▼『五月ウマチー』は、沖縄がかつて稲作地帯だった名残の行事?
沖縄の行事は旧暦で行われることが殆どなので、県内のスケジュール帳やカレンダーには、ほぼ旧暦と行事名が記載されています。その中でたまに見かけるのか『ウマチー』という言葉。『お祭り』という言葉が語源と言われています。最近は馴染みも薄くなってきた行事なのですが、実はこれ、今では殆ど見られなくなりましたが、沖縄でも麦や稲を栽培していた『農耕文化』の名残なのです。
まず、ウマチーは旧暦2月、3月、5月、6月に4回行われます。2月と3月は『麦』の初穂祝いと豊作祈願、5月と6月は『米』の初穂祝いと豊作祈願となっていて、特に琉球王朝時代は、重要な意味合いを持った農耕儀礼でした。
今回ご紹介する『五月ウマチー』は、前述した4回のウマチーの中で最も規模が大きいものです。現在ではムートゥーヤー(本家)で、一族の健康や繁栄を祈願するという意味合いで行われていることが多いのですが、かつては集落単位で割と大掛かりな規模で行われ、ノロや神女を中心に、集落の拝所で集落の代表などと共に供物を供え、豊作祈願などを行っていました。
現在の沖縄では農耕文化が廃れてしまい、かつて稲作地帯であったことを知る人もどんどん少なくなっています。沖縄といえば『サトウキビの島』と言われますが、実は1960年頃まで農業の主流は稲作だったのです。かつては県内各地で田んぼが広がっており、お年寄りに伺うと、それが沖縄の原風景だったと答える方もたくさんいます。
沖縄本島で田んぼがあるのは金武町や名護市の一部など、ごく少数となってしまいましたが、沖縄は漁業とともに農業も盛んで、地域行事としても農耕文化が根付いていたことを今に伝えるのが『ウマチー』なのです。