琉球の偉人のお墓Vol.1 玉城朝薫

琉球には歴史上に名を残す偉人が沢山います。そんな偉人達の功績とともにお墓を紹介していくシリーズ「琉球の偉人のお墓」。

今回クローズアップするのは玉城朝薫(たまぐすく ちょうくん)です。
琉球の古典劇や組踊を創作した芸能家として知られています。

1684年、尚真王の血筋をひく名家に生まれた朝薫は、幼い頃から音楽や舞踊、文芸の才能があり、江戸上りの使者として江戸へ赴きました。そこで目にした洗練された日本芸能に感銘を受け、琉球においてこれまでにない新しい琉球芸能を創ってみたいと奮闘します。

34歳には冊封使歓待のための踊奉行(公式儀礼のための踊りや音楽、余興などを監督する役職)を任され、「組踊」という琉球独特の歌舞劇を創りあげたのです。琉球版ミュージカルとでもいいましょうか・・・。

代表作は「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」「二童敵討(にどうてきうち)」「銘苅子(めかるし)」「孝行の巻(こうこうのまき)」「女物狂(おんなものぐるい)」。これらは『朝薫の五番』ともいわれ、組踊の代表作と称されています。

「組踊」は琉球の音楽と舞踊・物語に加え、能や狂言、歌舞伎など日本芸能の技と美しさを取り入れた琉球独特の伝統芸能として国指定重要文化財に登録され、現代にも受け継がれています。

「玉城朝薫」のお墓は浦添市前田にあります。墓下には前田トンネルが通っています。案内板があるのですぐにわかりますよ。

17世紀後半に作られたといわれる亀甲墓の古い形をしている貴重なお墓です。沖縄戦で屋根が破壊されてしまいましたが、2005年に修復されています。石積みや縁石は綺麗な曲線の仕上がりになっています。墓の内部は石柱と砂岩で天井を支えています。墓庭の石垣がバチ形にひらかれているのも特徴です。

50年の生涯を琉球芸能に捧げた組踊の創始者玉城朝薫。その功績に感謝の思いを寄せ、由緒あるお墓に一度は手をあわせたいものです。

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