コンクリートに刻まれた白い指跡(ゆびあと)
──イタビを剥ぐ娘の背中に、自分を重ねて
那覇市安里(あさと)周辺の、ビルに囲まれた一画。モノレールの走行音が街に響く中、そこだけが灰色の静寂に沈んでいる。我が家のお墓だ。 数ヶ月ぶりに訪れた墓は、私の体調をあざ笑うかのように、青々とした「イタビ(オオイタビ)」に覆い尽くされていた。コンクリートの肌に吸盤のような根を食い込ませ、網の目のように這い回るその姿は、まるで墓を絞め殺そうとしているかのようだ。
以前は、この程度の蔓(つる)など、ひと振りで引き剥がせた。しかし今の私にできるのは、車椅子の背に身を預け、容赦なく照りつける太陽の下で、その侵食をただ見つめることだけだ。
【剥がせぬ記憶と、嫁いだ娘】
「お母さん、日陰にいてね。今やるから」 そう言って軍手をはめるのは、首里の家に嫁いだ一人娘だ。彼女はもう「ここの家の人間」ではない。それなのに、こうして私の不自由な足の代わりとなり、慣れない手つきでイタビと格闘している。
イタビを剥がす「バリバリ」という音が、静かな墓所に響く。 根っこはコンクリートの微かな亀裂を逃さず、深く、執拗に食い込んでいる。娘が力を込めると、蔓は悲鳴を上げるようにして剥がれ、あとに白い、血管のような根の跡を残していく。 その跡を見て、私はふと思う。このイタビは、私が執着している「先祖代々の務め」そのものではないだろうか。娘をこの土地に、この古い慣習に縛り付けているのは、他ならぬ私の「動けない心」なのではないか。
【もどかしさと、世代の重なり】
「そこ、根っこからいかないと。またすぐに食い込むよ」 思わず口から出た言葉に、娘が苦笑いして振り返る。「わかってるって。お母さんは昔から、こういうことには厳しいんだから」。
その笑顔に、かつての自分を思い出す。私もまた、動けなくなった母の横で、同じように愚痴をこぼしながら墓を掃除していた。あの時の母も、今の私と同じように、申し訳なさと「ちゃんと継がせなければ」という焦りの狭間にいたのだろうか。 嫁ぎ先がある娘に、いつまでこの重いコンクリートの世話をさせるのか。墓じまいという言葉が喉まで出かかっては、先祖の眠るその「家」の重みに押し戻される。
【白い指跡が教えてくれること】
ようやく半分ほど剥がし終えた頃、コンクリートの表面は白く、痛々しい姿を露わにした。イタビに栄養を吸われ、少しずつ脆くなっている肌。けれど、その白さは、娘が今日ここで流した汗の証でもある。
「ほら、綺麗になったよ」 娘が差し出した冷たい茶を受け取るとき、彼女の指先が私の手に触れた。日焼けして、少し逞しくなったその手は、かつて私の手からバトンを受け取ったことを静かに物語っていた。 イタビを剥がしたあとの「白い跡」は、墓が負った傷ではない。それは、家族がここで生きて、繋がってきた記憶の指跡なのだ。
【風が吹き抜ける場所】
すべての作業を終え、那覇のビル風が墓所を通り抜けていく。 イタビの重みから解放された墓は、どこか軽やかで、誇らしげに見える。 「来年も、また手伝ってくれるね」とは言わなかった。ただ、「ありがとうね」とだけ伝えた。
帰りの車中で、遠ざかる墓を見送る。いつかこの墓を守る者がいなくなる日が来るかもしれない。けれど、今日この場所で娘と一緒にイタビを剥がした、あのコンクリートの熱さと、緑の粘り強い感触だけは、私たちの血の中に確かに残っていくのだ。



