明け方複数のメールの受信音で目覚めた10月31日。「首里城が焼けている・・・悲しい」の文字に凍り付き、すぐさまベランダへ。ホントだ!首里城の方角からの煙が止まらない。ヘリコプターも旋回しているし、これはただ事ではない!TVをつけると、正殿が崩れ落ちる画像が目に飛び込んできました。
世界遺産に登録された沖縄のシンボルが焼け崩れていく姿に言葉を失いました。いつまでも変わらず永遠に身近にあると思っていたものが一夜にして灰になってしまった・・・。沖縄県民のみならず日本、世界の人々が落胆した「首里城火災」。
文化財を失うことの哀しみや喪失感を皆が感じている一方、琉球の歴史を振り返るきっかけになったのでは?と思うのです。沖縄にはまだまだ沢山の価値ある文化財が多くあります。それらを大切に思い、歴史を振り返る必要性を首里城火災は教えてくれた気がします。誰かが言っていました「歴史は今を生きる私たちに多くの事を教えてくれる」と!
歴史的価値のあるものの中に「亀甲墓」もあります。お墓の入口は産道、そして大きな墓室は母親の胎内に例えられています。母親の胎内から生まれ、またそこに(亀甲墓)に戻っていく胎内回顧の考え方。それは世界の古代遺跡から発見されている「ラビリンス(迷宮)」にも似ているといいます。ラビリンスの曲がりくねった道はへその緒とも言われ、人が生まれてくる場所と、帰っていく場所を表しているのだとか。
また、日本のお寺では「胎内めぐり」という見学コースがあるようです。暗闇をたどることによって心身を清め、胎児が生まれてくる明るい世界に戻っていくという胎内めぐりコース。経験することで人それぞれ何か得るものがあるのでしょうね。これらのことが繋がっているのかはさておき、「亀甲墓」や「破風墓」は琉球王朝時代に建てられた価値あるお墓だということを覚えていてもらいたいです。
思い返せば、今年、49回目を迎えた那覇大綱挽の綱が初めて切れたというのもショッキングなものでした。しかも8月に開催された与那原綱挽きの綱も切れた・・・そして首里城火災が続きました。何か警告のメッセージでは?と心配する声がある一方、首里城火災はあれだけの大火事にもかかわらず犠牲者が一人もでていません。燃え盛る炎の中に「龍の姿」を見たという人や、「私たちの厄を天に持っていってくれたので感謝すべきだ」という人もいます。
しかし、貴重な文化財の一部が灰になってしまったのも事実・・・。これ以上、文化財がなくなることのないよう、防災対策をしっかりと行ってもらいたい!という意見や、いつでも行けると思ってたから・・・もっと頻繁に訪れるべきだったという声も聞かれます。
私たちの感性は人それぞれ・・・首里城火災のとらえ方もそれぞれですが、今回の件で感じたのは、皆が今一度琉球の歴史を振り返り、それぞれが何かに気づき、感じ取り、その思いを大切に育んでいくタイミングなのでは?と思うのです。当たり前のものがなくなる事もあるのです。でも、形はなくとも私たちの意識や記憶の中には永遠に残るものもあります。
これまで記憶に刻んできた立派な首里城、鮮やかな色調の佇まい、沖縄の人々の心の拠り所・・・など、大切な記憶を残しつつ、これから何十年とかかるかもしれませんが、青い空に悠然とそびえたつ首里城が復元される日を心待ちにしています。