琉球の偉人のお墓Vol.5 西塘

琉球には歴史上に名を残す偉人が沢山います。そんな偉人達の功績とともにお墓を紹介していくシリーズ「琉球の偉人のお墓」。今回クローズアップするのは西塘(にしとう)です。

1500年尚真王の時代、琉球王府が石垣島出身のオヤケアカハチの乱を鎮めたときの総大将「大里親方」に才能を見出されたのが竹富町出身の西塘です。

島に上陸した大里親方に、島の人々が逃げ隠れする中、西塘少年だけは動ずることなく、王府にひるまず堂々とした態度で接したといいます。その非凡な才能に驚いた大里親方はまだ10代の西塘少年を首里王府へ連れて帰りました。西塘は首里王府で首里城の生活風習や言葉を学び、政治や礼儀作法を身につけ、さらには地道に石工として修行を積み、今でいう一級建築士として首里王府の土木建築家として活躍しました。

世界遺産に登録されている園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)の石門は西塘が手がけたものです。また、城壁を敵が攻めにくい屏風積みの城壁にして、首里城を守ったともいわれ、その建築技術は誰もが認める才能だったようです。

首里王府で活躍していた西塘ですが、故郷への想いを忘れることなく、帰郷を願い入れ、八重山の統治者として竹富島へ戻りました。帰郷した西塘は、役所を建設し、その後は石垣島で政治家として手腕を発揮しましたが、故郷の竹富島を想う気持ちを尊重され、没後は竹富島で立派なお墓に葬られました。竹富島の中心にある「西塘御嶽(にしとうおん)」は西塘のお墓なのです。

地元の人は西塘の功績を讃え、西塘神様として今も大切に崇めています。

また、西塘が創建した国仲御嶽(ふぃなーおん)は、西塘が『園比屋武御嶽石門を建立することができたならば、故郷の竹富島に園比屋武の神様を勧請してお祀りする・・・』と祈願してできたもので、八重山で唯一の首里王府に関わる御嶽なのです。竹富島は今もなお御嶽信仰を受け継いでいる地域です。竹富島にはなんと28もの御嶽があるんですよ。その中でも国仲御嶽はもっとも格の高いパワースポットとして祭事の中心地となっていて、地元の人の心の拠り所になっています。

首里城と竹富島といえば、沖縄でも人気の観光スポットです。何気なく訪れていた場所・・・しかし、歴史的背景や関わった人物を知ることで、さらにその土地や建物のパワーを感じることができ、記憶にも残りますね。

首里城と竹富島を訪れる機会があれば、石積み大工の西塘の事を思い出してくださいね。

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