琉球には歴史上に名を残す偉人が沢山います。そんな偉人達の功績とともにお墓を紹介していくシリーズ「琉球の偉人のお墓」。今回クローズアップするのは蔡温(さいおん/1682年~1761年)です。
蔡温は具志頭親方文若(ぐしちゃんうぇーかた ぶんじゃく)として琉球王国の政治家として手腕を発揮しました。
琉球王国察度の時代に、中国の福建省から派遣された職能集団をはじめ、その後移り住んだ人々、また首里・那覇市族から迎え入れられたエリート集団の総称『久米三十六姓』の出身です。(蔡温の祖は1392年に渡来してきました。)
久米三十六姓は久米村(現在の那覇市久米)に住んでいました。その末裔は琉球が沖縄になるまでの間、中国と琉球の外交と貿易に寄与し、多くの政治家や学者を輩出しています。蔡温はその中でも突出した才能を発揮し琉球国の指導者として三司官をつとめました。
17歳で学問に目覚め、論語をはじめとする多くの書物を読み、19歳で通訳をつとめ、21歳には教師として活躍します。
27歳で中国に渡ったときに、本当の学問とはその知識を生かして人々のために働くこと・・・との教えをうけ、琉球のために貢献してきました。
三司官とは行政の最高責任者です。当時の選挙権をもつ王族や士族ら200名ほどの選挙をうけ親方の中から選ばれるのです。
蔡温の主な功績としては、農業林業振興に力をいれたことです。
1735年当時、稲作が盛んだった名護の羽地地域の羽地大川は台風や大雨で氾濫を繰り返し作物がだめになるなど、農民を苦しめていました。蔡温は堤防や用水路を作るなどして改善したのです。今でこそ、普通に見かける風景ですが、およそ280年も前に堤防の建設をしていたとは驚きですよね。しかも短期間で・・・農林水産省のHPにも「沖縄の水田の里を拓いた人物」として蔡温が紹介されています。
また、家や船をつくる為に山にたくさんの木を植え、琉球松で島は緑でいっぱいになりました。現在もその恩恵を私達はうけているのです。
また、治水治山の実践書「山林真秘」や、儒教の教えをまとめ教科書としても利用された「御教条」や、政治経済の提言書「独物語」など多くの書物を残し、政治改革や琉球発展のために寄与した人物です。
さて、蔡温のお墓は那覇市首里の大名町にあります(浦添市沢岻の境目)。亀甲墓ですが、戦後に改修されています。
1933年撮影の貴重な写真はこちらをご参考ください。著名な人物のお墓として神聖な雰囲気がありますね。【野々村孝男編著『写真集懐かしき沖縄』琉球新報社、2000年】
また、那覇市若狭の天尊廟地には蔡温の頌徳碑が建てられています。
琉球の五偉人としてもクローズアップされる蔡温
その功績を後世に伝えていきたいですね。