年の瀬が近づくと、昔の日本にはある決まり事がありました。
12月16日になると念仏を唱えるのをやめ、1月16日になると再び唱え始めるというものです。
一見すると仏教の作法のようですが、その背景には日本独自の信仰の文化や歴史ーー神仏習合が深く関わっています。
1.年神様を迎えるために念仏を止める
念仏の口止めは、「修行を休む」「信仰を弱める」という意味ではありません。
昔の日本では「念仏は死や供養を連想させる行為であり、正月に訪れる年神様はそれを嫌う」と考えられてきました。
年神様は、新しい年の生命力や豊穣をもたらす存在です。その清浄な神を迎えるため、年越しの準備が始まる12月16日から正月の間は念仏を慎み、死や穢れに関わる行為を遠ざける、というのが念仏の口止めの本質です。
2.1月16日は念仏が「戻ってくる日」
1月16日は年神様が帰る日とされ、正月が完全に終わる節目の日です。
この日を境に「念仏を再び唱える」「仏事や供養を通常通り行う」ことが許され、念仏の口開けと呼びました。
1月16日は同時に祖先や死者と関わる行事が行われる日でもあり、神の時間から仏の時間へ戻る日ともいえます。
ちなみに旧暦文化の沖縄では旧暦1月16日は「ジュウルクニチー」と呼ばれ、あの世の正月(グソーヌソーグヮチ)と呼ばれています。もしかしたら、仏事解禁となったタイミングであの世のお正月を祝うようになってきたのかもしれないですね。
3.仏教本来の教えとは異なる点
ここで注目したいのは、仏教本来の立場では「念仏を止める」という発想はないということです。
念仏は本来、日々唱えるべきものであり、特定の神の都合で中断するものではありません。
それでも日本では「正月は神の支配する期間」「それ以外は仏様が前面に出る」という形で生活の中で神と仏、信仰が柔軟に調整されてきました。これが神仏習合の特徴です。
4.神仏習合とはなんだったのか
かつて日本では、八百万の神がみが祀られ、信仰されていました。そこへ大陸から仏教が伝来します。その際に日本人が選んだのは、「神と仏を別々の存在として対立させるのではなく、同じ世界に共存させる思想」でした。
中世の日本では「神は仏が姿を変えて現れたもの(本地垂迹説)」「仏は神が姿を変えて現れたもの(反本地垂迹説)など、神社でも仏教儀礼が行われたりお寺でも神が祀られたりしました。
念仏の口止め・口開けは、それよりももう少し日常生活の中で行われた神仏習合の実例といえます。
5.神の前では仏を控え、仏の前では神を迎える
正月には神を第一にし、その期間は仏教的な行為を控える。そして神が去れば再び仏教と向き合う。
この切り替えは信仰を軽んじた結果ではなく、どちらも大切にしたからこそ生まれた知恵でした。
神も仏も否定しない。時と場に応じて役割を分ける。それが日本人の信仰感覚だったのです。
周囲から流れ込んできた文化や習俗を取り込み、混ぜ込んで独自の文化に発展させてきた日本人らしい考え方のように思えます。それは沖縄のチャンプルー文化にも通じています。
6.まとめ
現代では12月や1月の念仏を控えるという習俗はほとんど見られません。
しかしその背景を知ると、正月とは何か、神と仏をどう受け止めてきたのか、日本人の宗教観が静かに浮かび上がってきます。
念仏の口止めと口開けは、神仏習合が生きた信仰だった時代の記憶なのです。

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