前に玉陵について書きましたので、今回は浦添ようどれについて書きたいと思います。
浦添ようどれは浦添城跡の北側にある琉球王国の陵墓です。
中山王英祖が1261年に築いたもので、別名「極楽陵」と言います。
岩壁を掘り削って作られた沖縄を代表するお墓の一つです。
琉球石灰岩を人工的に掘削した二つの横穴からなり、向かって右に位置する西室が英祖王陵、左の東室が尚寧王陵とされます。
ようどれの入り口から「暗しん御門(くらしんうじょう)」と呼ばれる自然の岩盤を掘削したトンネルを通って「二番庭(にばんなー)」と呼ばれる墓庭に出た後、「なーか御門(うじょう)」と呼ばれるアーチ型の門をくぐると、「一番庭(いちばんなー)」と呼ばれる墓庭と、二つの墓室につながる作りになっています。
しかし沖縄戦でようどれも大きな被害を被り、ほとんどのものが破損や破壊されましたが、戦後墓室の石組みと「ようどれの碑文」は復元されました。
「ようどれの碑文」と呼ばれる戦前墓庭にあった石碑は「極楽山之碑文」とも言われ、尚寧王が浦添ようどれを改修する際の尚寧王の思いが刻まれています。
そしてあまり聞きなれない「ようどれ」という言葉。
これは「夕凪」という意味で、夕方の凪いだ静かで穏やかな海のことです。転じて「極楽」のオモロ名ではないかとも言われているそう。
もしお時間がありましたら、浦添城跡、そして浦添ようどれへも足を運んでみてください。