王陵(たまうどぅん)

玉陵(たまうどぅん)

玉陵は、沖縄で最も有名な破風墓です。

破風墓とは、三角形の屋根を持つ沖縄特有のお墓の形式の一つです。あと有名なものに亀甲墓があります。

琉球王国時代は王室のみ許された形のお墓でしたが、1879年以降に解禁され、一般に普及するようになりました。

その破風墓で最も有名で最古のものが玉陵です。

玉陵は第二尚氏王統の第三代尚真王の時代に建築されたものです。父である尚円王(金丸)が見上げ森(ミアギムーイ)に葬られていたのを、この玉陵を建築しうつしました。

中質・東室・西室の3つに分かれ、中室は洗骨前のご遺体を安置する部屋、東室は王と王妃、西室はそれ以外の玉陵碑に記されている限られた家族が葬られました。

第二次世界大戦では、首里城に近かったこともあり米軍の集中砲火を受け大きな被害を受けましたが、戦後復元され現在の姿となっています。

少し歴史の話をしますと、この玉陵碑には玉陵に葬っても良いとされる9名の名が刻まれており、最後に「この書付に背く人あらば、天に仰ぎ地に伏して祟るべし」と書かれてあります。

これは当時王室で権力争いがあったことを示唆しています。

建設当時絶大な権力を持っていた尚円王の妃であり尚真王の母であった宇喜也嘉(オギヤカ)の認めた子孫のみが玉陵に葬られることを許される(=それ以外は王とは認めない)という、なんとも暗い執着や怨念のようなものを感じますね。

尚円王の弟であった第二代尚宜威王が即位してすぐにノロの神託により半年で退位することになったり、尚真王の世子であった浦添朝満(母は尚宜威王の娘)が廃嫡されたりと当時の歴史的な状況から見ても明らかです。

権力闘争と人間の怨念は切っても切れないものですね。